青かび蜜柑

投げ出した 青かび蜜柑 生き生きと

ダンボールでみかんを買った。

家の中は外に比べると暖かい。なるべく傷ませたくなかったので、今年は家の外の車庫にその箱を置いてみた。

車庫の中なら陽も当たらないし、冷たいし、天然の冷蔵庫。ここはいいかも。

ただ、そこに行く頻度が遠いかも。

腐らせない様にしないと、と気合いを入れていた。

うっかりしてしまった。

やっぱり、やってしまった。

ここのみかんのこと、忘れていた。

車を出す頻度は少なくて、他にも食べる果物があって、なんて言い訳がよぎる。

恐る恐る除いた。

見事に青かびを纏っていた。

おお、触りたくたない。

荷物も沢山持っていて手が自由じゃない。

考えた。

車の中のティッシュペーパーに託してみた。

3枚。

予備に1枚をとっておき、2枚で掴んだ。

柔らかくて掴めない。

そこをなんとか微妙な力加減と持ち方で。なんとか掴んだけれど、落ちるっ。

AIの技術が進歩していても、この技は人の手だからこそだろう。って思考が流れた。

胞子を撒き散らしたくない。

ギリギリで箱の外に落ちた。

周囲のみかんにも少しついていた。はたけば取れる程度だった。ここはなんとかセーフ。

沁みているティッシュに、残しておいたティッシュを重ね、直に触らない様に拾い上げた。

これを家の中を経由したくない。

どうするか。

庭の落ち葉のところでいいか。

自然に消化されるだろう。

ボテっと枯れ葉のベッドの上に投げた。

これは昨日の午前中の事。

その夕方、電車で出かけた。

車中でスマホである記事を読んでいた。

ちょっと心嬉しい内容だった。

ふと、顔を上げた。

いつもと同じ車窓の景色なのに、美しい景色が広がっていた。

ちょうどいいサイズの波。優しい色の海。

陽が傾いていて雲の中で光っている。

水地平線はくっきりとそのシルエットだけが浮かび、

その後ろの空は茜色のグラデーションになっていた。

車内は、そんな景色を見ている人もいれば、気づかずにいる人もいる。

そんな普通のシーンが目の前に展開されている。

この「今」を体験できている事が、幸せでたまらなくなった。

そんなゾーンに入った私は、ちょっと違う視点になった。

みんな、何もかも、上手く回っている。

上手く出来ている。

凄いなあ。

空にはぼんやりと、まあるい月が輝いている。

今日は満月か・・・・。

朝、昨日のみかんを覗いてみたら、

柔らかくなった橙色に、

細かい粉の青緑の胞子を纏ったみかん。

露でしっとりしている枯れ葉の中で居心地は良さそう。

カビだって必要だから存在している。

命を繋ぐ営みがある。

量子の世界、限りなく無に近い世界では、

私も目に映るものも同じモノなんだろう。

悩みもあるけれど、「今」の私を構成するために必要な構成因子なんだろう。

こうして今私がいる。

昨日投げたみかんを美しいと思っている。

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